はじめは気にならなかったけどなんだかこころに残っていて、
再会したときにはとっても気になってる。私にとって、岡崎律子さんは
そんな存在だったのかもしれない。

 はじめて岡崎さんの曲に触れたのは、96年の1月。当時は
Japanese Dream」を聴いており、その番組でかかった「リグレット
〜恋人なら〜」を耳にしたのがはじまりだった。ただ、当時の
記録を見てもそこまでのインパクトを感じておらず、岡崎さんを
「知った日」というのが正しいのかもしれない。

 しかし、このときのイメージは私の中にずっと残っていた。この年の
8月に「A Happy Life」を聴いたとき、私の感想は「悲しい曲の方が
声と合ってるのになあ」だった。内容はともかく、少なくともこの時点で
「岡崎さんの声を覚えていた」ということになる(あ、今は明るい曲も
好きですよ。念のため)。今でも「リグレット」をはじめて聴いたときの
衝撃は残っているから。

 それからしばらくは彼女の声を聴くことができなかったが(なぜか
Rain or Shineのときはスルーしてます(汗))、99年の11月に
ジェーン・バーキンの日本語カバーである「L'aquoiboniste
〜無造作紳士〜」を聴くことになる。このとき、私は「あの声が
戻ってきた」という書き方をしているし、その翌週にも「きいているだけで
涙が出てくる。あまりに悲しく、やるせない。これだけの雰囲気が
出せるのは、彼女だけだろう。」というコメントを残している。もともと
「リグレット」から入っているので悲しい曲に反応する部分があるにせよ、
この曲は彼女の声質にとってもマッチしていると思っている。彼女が
作った曲ではないのがちょっとつらいけど。

 そして、おそらくこのころから「岡崎律子」というアーティストを
意識するようになったんだと思う。なかなかCDを見つけることは
できなかったけど、旅行先でふと見つけたら買うようにしてたから。

 そして、風の噂で「フルーツバスケット」の曲を担当したと聞いたり、
彼女のHPを見つけてときどきチェックするようになったり、Yahoo!で
岡崎さんと日向めぐみさんのユニット「メロキュア」がヒットしてることを
喜んだり、陰ながらずっと応援してた。でも、その後に聞くニュースが
まさかこんなこととは…。

 今は、少しずつ岡崎さんが残した足跡をたどっていこうとしています。
もともとアニメから入ったわけではない私にとって、岡崎さんのことを
応援していた人がいっぱいいたのには感激しましたし、「みんな
同じ想いをもってるんだ」という意識を強くしました。私はまだまだ
これからだけど、それでも岡崎さんのことはずっと忘れないでしょう。
それが、私ができる唯一の供養だと思うから。