さて、今日も「今年を振り返って」シリーズです。今日は
今年後半の流れを、仕事とひとり暮らしから振り返ります。
今年後半の流れを、仕事とひとり暮らしから振り返ります。
はじめにうちの会社について少しだけ。プログラマをしていると、
「協力会社」「パートナー会社」なんて形で派遣のようなことを
することが多くあります。2005年の5月までは完全に自社開発の
環境でしたが、そこを退職してからはずっと派遣で食いつないで
いました。そんな中で今の社長に誘われ、昨年の4月から「一応
正社員で、そこから別の会社に派遣されている」という今の形態で
働きだしています。この形態、「特定派遣」というそうです。
少し日記を見返してみると、今年の前半は「変な仕事に
振り回されたものの、帰る時間はそこそこ早い」ような状態でした。
契約終了の話を聞いたときに「総合的に考えれば悪い話では
ない」なんて書いているあたりが象徴しています。
そしてそことの契約が6月末で終了し、7月から研修生活に
入りました。まあ一応勉強してたわけですが、あくまで「勉強」
なので普段とはまったく違い、「ここまで楽にお給料がもらえて
大丈夫か?」と思えるような状況でしたっけ。
そのときに「そうか、今の会社にいればある程度生活の目処は
立つんだ」と思い、「30になったし、ひとり暮らしをはじめるのも
いいかもなあ」とか思うようになります。そこで出した条件は
「今住んでいるところより便利なところで、家賃は少し抑えめ」で、
条件が合わなかったら(必要に迫られての引越ではないので)そのまま
実家にいようと思っていました。
それが不動産屋で何件か家を見せてもらううちに「あ、ここは
便利だ」という物件を見つけ、最終的にそこで決めました。
引越日こそ8/23でしたが、実は家を探し出したのは7/4で決めたのは
7/15と、実質10日で決めたことになります。
ちなみに、そのころスカイビルとか福島とかに行っているのは、
はじめはその辺で探していたことを意味します。7/4なんてvi-codeへ
行った日で、「この辺で住めれば便利だな」と思ってワンルームが
ないか探し出したのがことの発端です。不動産屋さんのすすめもあり、
実際にはちょっと違う場所になりましたが。
で、そんなことをしているうちに8/5から新しい仕事がはじまりました。
それが9月末までの契約で、まあこれが「上司に恵まれないとここまで
ダメになるんだね」という見本のような最悪な環境でした。毎年恒例の
お八朔へ行けなかったのも、このころからBlogが停滞したのも、すべて
この仕事が原因です。
正直、今だから言えますが、1ヶ月間の研修で社長といろんな話を
してなかったら「10月以降はもういい」と言いかねない状況でした
(実際「10月以降は続ける自信ない」とどこかで言った気もしますが、
それより強い口調になったのは間違いないです)。それをなんとか
乗り越えたのは、その1ヶ月である程度の信頼関係ができていたから
だという気がします。
そしてなんとか契約終了、10月からまた2ヶ月間の契約で新しい
お仕事がはじまりました。このときは「仕事量はそんなにないものの
とにかく拘束時間が長い」職場で、個人的に一番嫌いなタイプで
あったため非常にしんどかったです。ただ、いままでVB一辺倒だったのが
JAVAをさわらせてもらい、少し幅が広がったのかな、とは思っています。
そのあとまた12月から職場が変わり、とりあえず1ヶ月乗り切りました。
ちょっと書いていいのかなあ、「汚いソース」しか見たことない人が
「きれいなソース」を書くのは至難の業なんだな、と思っていたり。
そんな意味で、小さな会社ながらかなり「とんがっていた」前の
会社にいたことは今の経験にかなり生きていますし、今年のバタバタも
今の仕事に多少役立っているのかな、と思っています。
そういえば、ここまで仕事の話を書いたのってはじめてですかね。
今年後半の仕事は相当大変でしたが、今考えると「この順番で仕事が
来ていなければどこかで破綻していた」なあ、と感じます。こと
仕事(と家探し)に関しては「すべてのタイミングがうまくいった」
1年だったと思いますね。あとは、これを来年以降も続けることが
できるか、だ。
では、今回はここまで。次回はライブネタですかね。
「協力会社」「パートナー会社」なんて形で派遣のようなことを
することが多くあります。2005年の5月までは完全に自社開発の
環境でしたが、そこを退職してからはずっと派遣で食いつないで
いました。そんな中で今の社長に誘われ、昨年の4月から「一応
正社員で、そこから別の会社に派遣されている」という今の形態で
働きだしています。この形態、「特定派遣」というそうです。
少し日記を見返してみると、今年の前半は「変な仕事に
振り回されたものの、帰る時間はそこそこ早い」ような状態でした。
契約終了の話を聞いたときに「総合的に考えれば悪い話では
ない」なんて書いているあたりが象徴しています。
そしてそことの契約が6月末で終了し、7月から研修生活に
入りました。まあ一応勉強してたわけですが、あくまで「勉強」
なので普段とはまったく違い、「ここまで楽にお給料がもらえて
大丈夫か?」と思えるような状況でしたっけ。
そのときに「そうか、今の会社にいればある程度生活の目処は
立つんだ」と思い、「30になったし、ひとり暮らしをはじめるのも
いいかもなあ」とか思うようになります。そこで出した条件は
「今住んでいるところより便利なところで、家賃は少し抑えめ」で、
条件が合わなかったら(必要に迫られての引越ではないので)そのまま
実家にいようと思っていました。
それが不動産屋で何件か家を見せてもらううちに「あ、ここは
便利だ」という物件を見つけ、最終的にそこで決めました。
引越日こそ8/23でしたが、実は家を探し出したのは7/4で決めたのは
7/15と、実質10日で決めたことになります。
ちなみに、そのころスカイビルとか福島とかに行っているのは、
はじめはその辺で探していたことを意味します。7/4なんてvi-codeへ
行った日で、「この辺で住めれば便利だな」と思ってワンルームが
ないか探し出したのがことの発端です。不動産屋さんのすすめもあり、
実際にはちょっと違う場所になりましたが。
で、そんなことをしているうちに8/5から新しい仕事がはじまりました。
それが9月末までの契約で、まあこれが「上司に恵まれないとここまで
ダメになるんだね」という見本のような最悪な環境でした。毎年恒例の
お八朔へ行けなかったのも、このころからBlogが停滞したのも、すべて
この仕事が原因です。
正直、今だから言えますが、1ヶ月間の研修で社長といろんな話を
してなかったら「10月以降はもういい」と言いかねない状況でした
(実際「10月以降は続ける自信ない」とどこかで言った気もしますが、
それより強い口調になったのは間違いないです)。それをなんとか
乗り越えたのは、その1ヶ月である程度の信頼関係ができていたから
だという気がします。
そしてなんとか契約終了、10月からまた2ヶ月間の契約で新しい
お仕事がはじまりました。このときは「仕事量はそんなにないものの
とにかく拘束時間が長い」職場で、個人的に一番嫌いなタイプで
あったため非常にしんどかったです。ただ、いままでVB一辺倒だったのが
JAVAをさわらせてもらい、少し幅が広がったのかな、とは思っています。
そのあとまた12月から職場が変わり、とりあえず1ヶ月乗り切りました。
ちょっと書いていいのかなあ、「汚いソース」しか見たことない人が
「きれいなソース」を書くのは至難の業なんだな、と思っていたり。
そんな意味で、小さな会社ながらかなり「とんがっていた」前の
会社にいたことは今の経験にかなり生きていますし、今年のバタバタも
今の仕事に多少役立っているのかな、と思っています。
そういえば、ここまで仕事の話を書いたのってはじめてですかね。
今年後半の仕事は相当大変でしたが、今考えると「この順番で仕事が
来ていなければどこかで破綻していた」なあ、と感じます。こと
仕事(と家探し)に関しては「すべてのタイミングがうまくいった」
1年だったと思いますね。あとは、これを来年以降も続けることが
できるか、だ。
では、今回はここまで。次回はライブネタですかね。
若い時期って、羨ましい限りですネ(^^;
残りの時間を意識せず、出来る限りのチャレンジ
気持ちだけは、まだまだ若いつもりですが、何処まで行けるか?
今後ともよろしくお願いいたします。