大阪へ帰るまでの短い時間ですが、
仙石線・石巻線を経由して女川まで
行ってきました。結局女川での
滞在時間が8分しかなく、ほぼ
「車窓からの景色」だったの
ですが、それでも思うところが
いくつかあったのでブログに
残しておこうと思います。

そもそもなぜ女川まで行ったかというと、
2007年のGWにサンガさんとベガルタの
試合を見に行ったあと、なんとなく
女川まで足を伸ばして石巻で泊まったん
ですね。そんな「行ったことのある」
まちが震災で甚大な被害を受けたと
聞き、実際どうなったのかを確かめて
みたかったのです。特に女川では
その季節に咲いてた桜がとても印象に
残っていて、「あの桜はいまどうなって
いるのだろう」という思いもありました
から。

ということで仙台から仙石線、そして
石巻から石巻線を使って女川まで行って
きました。とはいえ仙石線の高城町から
矢本までと石巻線の石巻から女川までは
鉄道が復旧しておらず、代行バスを使う
ことになります。そして、その区間が
いちばん被害も大きかったです。

そんな形で女川まで乗り通していちばん
感じたのは、「宮城県沿岸部だからと
いってすべてが甚大な被害を受けた
わけではない」ということでした。
たとえば石巻と女川はどちらも非常に
大きな被害を受けましたが、その間の
区間には海が近くても被害の少ない
集落がいくつもありました。おそらく
津波が向かった方向の関係だと思うの
ですが、意外とそんな簡単なことに
気がついてなかったなあ、と思って
います。そしてそれは松島にも言える
ようで、海岸を見た限りではほとんど
復旧しているように見えましたし、
実際に遊覧船はGW前に再開している
ようです。ただ、あまり観光客は来て
いないように見えたのは、やっぱり
「宮城は被害が大きかった」と考えて
しまうこともあるんでしょうね。

女川のまちは文字通り「壊滅的な」
被害を受けており、車窓から見る
限りでは白石神社の桜も(土砂崩れの
影響か)残っていないように見えました。
いちばん上に枝垂れ桜のような木が
見えていたのが、そうだといいん
だけどな。ただ、瓦礫の撤去は
いちばん進んでいるようで、大きな建物
以外は更地になっていました。まさか、
16年前に神戸で見た風景をまた見て
しまうことになるとは思わなかった。
その他の地区ではまだ壊れた家の撤去が
すすんでいないところもあり、それが
また被害の大きさを物語っているように
感じました。

そして、東名駅から野蒜駅にかけて、
いままで人が住んでいた場所がいまだ
水につかっている、という風景を目に
しました。確かにニュース等で聞いた
ことはあったものの、これを見たときに
それがどういうことなのかをはっきり
見せつけられましたね。確かに
「いままで住んでた場所が突然海に
なったら」という課題がそこには
あって、でもそれを想像することは
とっても難しくて。これが、今回
いちばんインパクトのある風景でした。

やっぱり「もっとゆっくり見たかった」
という想いはあるのですが、それでも
見に行ったことは無駄ではなかったと
思うし、それを無駄にしないように
しなきゃいけないな、という思いを強く
しています。私に何ができてどうすれば
いちばんいいのか、きちんと考えて
いかなきゃな。