050726a予定通りというか、今日は台風と
いうことでどこにも行かず。という
ことで、日曜に淡路島へ行って
思ったことを。

 明石港から明石ジェノバラインで淡路島へ向かうと、富島港に
着きます。旧北淡町の役場も近くにあったんですが、このあたりの
光景はなんか「島の風景」ではなかったんですよね。
 私は「震災後」の光景をずっと見てきているし、淡路島も
震災の被害があったことを知っているので、写真のような
風景を見たときに「ここは震災の被害が大きかったのかな、
でもひょっとして震災後にできたまちなのかな」ととっさに
感じたんですが、そういう知識がなければ「ここが被災地
です」って言われなければ(言われても)ピンと来ないかも
しれません。野島断層保存館があるってこと自体が震源に
近いことを意味するとはいえ、「震災を伝える」ものは
もうほとんど残ってないんだなあ、というのを実感する
出来事でした。

 それはまち・コミでも同じことで、いくつかモニュメントは
残っているものの、それをしっかり「伝える」ことはできて
いないように感じています。震災から10年半、それを「伝える」
ことはどんどん難しくなっているんだなあ、と実感せざるを
得ませんでした。